日記のような、それ。

マエミルの、あれやこれや。

見えない部分への対応。

難しいですよね。見えない部分への対応って。だって見えないんですもの。

 

私の場合、病気になってからたくさん嫌な思いをし、自分がそれまで良かれと思い行ってきた他人への対応を本当に悔いています。

病気じゃなくても、人はいろんな痛みや悩みを抱え、感じ方もそれぞれ違います。

 

あ、なんだか前置きが長くなってしまいそう…!

 

私は、

 

「生きてるだけで丸儲け」と「死ぬこと以外かすり傷」

 

という励ましの言葉をかけられると、とんでもなく落ち込みます。

 

どの言葉にもいろんな解釈の仕方があると思いますが、私はこの2つの言葉が大嫌いです。確かに私は死にかけたけど生きているし、そのことに感謝しています。しかし、病気になんてならなければそれにこしたことはないし、死にかけたことを丸儲けだなんて絶対に思えません。いろんなものを失いました。死ななかったけれど、それは絶対にかすり傷程度のものとして処理はできません。病気が悪化した時、全身を金属バットで殴られるような痛みがずーっと続きます。痛みで呼吸もできません。その痛みを体験し、次はいつその痛みがくるのかと恐怖に怯えながらも日常生活を送っています。死ななければかすり傷として処理しなさいと言われている気がして、とても苦しくなります。考えすぎだと思われるかもしれませんが、私の痛みを誰かに過小評価されるのなんて真っ平ごめんなのです。

 

見た目には分からない病気だから、治ったんだと思う友人や親戚がいます。友人からは「大変だったね」と言われることが多く、嫌な思いをすることは少ないのですが、なぜか親戚のおじさんおばさんの中には「病気に感謝しなさい」と言う人もいます。

私は、担当医や関わってくれた看護師さん、家族や友人にとても感謝しています。ですが、病気に感謝なんて絶対してやるもんか、と思います。どういう意図でその言葉を発したのかも分かりますが、これも真っ平ごめんです。

そう思っていながら笑顔で答える私自身も、私を傷つけている1人なんですけどね。

 

見えないから仕方ないだろうと、自分で自分を慰めます。病気になる前の私もそうだったでしょう、と。見えない何かに思いを巡らせることはとても難しいです。病気になり、いろんな言葉をかけられて初めて、励ましの言葉とされるものでこんなに傷つくのかと気づきました。

 

最初でかいたように、病気だけでなく様々な場面でも励ましの言葉が負担になることがあると思います。他人の思いなんてどこを向いているのか分かりません。もしかしたら、「生きてるだけで丸儲け」と「死ぬこと以外かすり傷」、私の嫌いなこの2つの言葉で心が救われる人もいるかもしれません。それはそれでいいのです。私には拒否反応がでただけなのです。

しかし合う合わないがあると分かった以上、私はこの言葉を含め、励ましの言葉を使う時には細心の注意を払うようにしています。気をつけていても、私の考えが及ばないことの方が多いと思います。だから私は、友人から悩みを打ち明けられた時にそれっぽい言葉を使って励ますことはしません。ただ聞くことに徹しようと頭に置いています。

自分を高めるための言葉を自分で自分に言い聞かせるのはとてもいいことだと思います。私も、勇気をもらえた言葉を繰り返し思い出し自分に言い聞かせます。他人に同じ感覚を持てとはしません。求められれば参考程度に、私はこの言葉に救われた、と伝えることはあっても、この言葉が全てだという立場をとることを強要はしません。受け入れる受け入れないはそれぞれが決めます。

 

見えない部分への対応って、良かれと思っていても実際そうでないことが多いと思うのです。良かれと思ってした行動を拒否もしくは非難された時、恩を仇で返すのか!のような感覚になりがちですが、当事者からすれば、余計なお世話でしかないのです。

 

私はさんざん、余計なお世話をしてきたように思います。もうほんとやり直したいことばかり(笑)

過去には戻れないし、完璧な人間ではないから、また無意識に発した言葉で人を傷つけてしまうかもしれません。とにかく考えること。考えて反省して考えて、言葉選びに気をつけていくしかないんだなと思います。

 

な、なんだか決意表明みたいな感じになってしまいました…!

 

自分がされて嫌なことはしたくないですね、という簡単なお話なのに長くなってしまいましたが、ここで終わります\( 'ω')/ではまた。